「“ちゃんと向き合わなきゃ”が、心を遠ざけてた。」

「ちゃんと向き合わなきゃ」

そう思うたびに、心が重たくなっていた。

人間関係でも、自分の気持ちでも、何かに対して「きちんと向き合わなきゃ」と思えば思うほど、
なぜか距離ができてしまうような感覚があったんです。

向き合おうとすることが、かえって心を追い詰めていたのかもしれない。

今回は、そんな“まじめな自分”に気づいた日のことを綴ります。

目次

「ちゃんと話さなきゃ」が苦しかった

大切な人との関係がぎくしゃくしたとき、

「話し合わなきゃ」「気持ちを伝えなきゃ」って、自分を奮い立たせていました。

だけど、その「ちゃんと」の裏には、
“関係をなんとかしなきゃ”という焦りとプレッシャーが隠れていた気がします。

感情を整える間もなく言葉にしようとして、
うまく伝えられず、余計に距離が広がってしまったこともありました。

向き合うこと=正面からぶつかることじゃない

ずっと、「向き合う=しっかりぶつかること」だと思っていました。

でも、心にはタイミングや準備が必要なんですよね。

整理できていない気持ちを、無理やり言語化しようとしても、
かえって自分を傷つけてしまうこともある。

本当は、少し距離をとることも、
一度立ち止まることも「向き合う過程」の一部だったんです。

「向き合えない自分」を否定しない

向き合うことができない自分を、「逃げてる」と責めていた時期もありました。

でも今ならわかります。

気持ちが追いついていないときは、無理に前に進まなくていい。

言葉にできない気持ちもあるし、
沈黙の中にしか見えない想いもある。

そばにいるだけで、伝わる気持ちもある

何かを解決しなくても、ただ同じ空間にいるだけで、
「わたしはここにいるよ」というメッセージが届くときもある。

寄り添うことと、向き合うことは、必ずしもイコールじゃない。

でも、そのやわらかい在り方が、
お互いを守ってくれることもあると気づきました。

ちゃんと向き合うために、ちゃんと休んでもいい

いつか話せる日が来たらでいい。

そのときのわたしが、
今より少しやさしくいられたら、それでいい。

焦らなくていい、完璧じゃなくていい。

わたしの心を守るために、「今は向き合わない」という選択も、きっと正解なんです。


「ちゃんと向き合わなきゃ」じゃなくて、

「ちゃんと自分を大切にしながら向き合いたい」

——そう思えたとき、心の距離が少しだけ近づいた気がしました。

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