「“気にしすぎかも”って、自分にフタをしてた。」

「気にしすぎかも」

そう思った瞬間、自分の気持ちにフタをしてしまっていた。

誰かの言葉に傷ついたことも、
空気を読みすぎて疲れたことも。

全部「わたしが気にしすぎなだけ」と片づけて、
本当の気持ちに向き合うのがこわかったのかもしれません。

目次

敏感な自分を責めてきた

「そんなことで落ち込んでたの?」「もっと気楽にいこうよ」

そう言われるたびに、自分の感じ方は“おかしい”のかもしれないと思うようになって。

感受性の強さは悪いことだと、ずっと思っていました。

「気にしすぎ」は、防衛反応だった

相手の顔色をうかがってばかり。

言葉の裏を考えすぎて、自分の本音がわからなくなる。

でもそれって、自分を守るための“察知力”だったんですよね。

気にすること自体が、悪いわけじゃない

感じ取れるということは、
人の気持ちにも敏感でいられるということ。

それはやさしさのひとつのかたちかもしれません。

だからこそ、まずは
「気にしていいんだよ」と、自分に言ってあげることが大事なんだと思います。

フタを開けたら、本当の気持ちが見えてきた

「ほんとは、あのときちょっと悲しかった」

「言われた一言がずっと心に残ってた」

そうやって少しずつ、本音を拾い集めていくことで、

自分との信頼が戻ってきた気がしました。

「気にしすぎ」じゃなく、「感じてるだけ」

もう自分の繊細さを責めなくていい。

たくさん感じることは、わたしの特性であって、
弱さじゃない。

そう思えるようになってから、
少しずつ、心に余白ができてきました。


「気にしすぎかも」って言葉に、やさしくブレーキをかけられたらいい。

だいじょうぶ、その気持ちもちゃんと意味があるから。

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